信州飯山修験の里【 小 菅 】

小菅とは

小菅は、長野県北部の飯山盆地東縁に営まれる集落で、小菅山山麓の緩斜面上に位置しま す。 山々には天然のブナ林、ナラ林など、恵まれた美しい自然が広がり、集落には、日本の里山 そのもの、といった風情の景観と暮らしが今でも大切に守られています。

小菅山は、7世紀前半に遡る修験の山、霊山です。小菅神社の直線的な山道の両側に方形 の区画を持つ坊院群が密集する古絵図が伝わっており、その絵図からは、往時の宿坊街とし ての隆盛の様子を偲ぶことができます。現在でも、当地で算出する安山岩を用いた石積み等 で区画された地割が、居住地や耕作地として継承されています。

小菅では、湧き水を居住地に引き込み、カワまたはタネと称する池で受け、生活に利用し ている。また、集落北方の北竜湖から用水を引き、田畑の灌漑に利用している。

これら水路の維持・管理など、集落の共同作業は、『おてんま』と呼ばれ、地域共同体の 紐帯として現在まで引き継がれ続けている。

小菅の歴史

かつて北信濃三代修験場として、戸隠・飯綱と並び繁栄した小菅山は、修験道の開祖「役 小角(えんのおづぬ)」によって680年に開山されたと伝えられます。

その後、大同年間(806〜810年)に、坂上田村麻呂が八所権現本宮などを再建し、 小菅山元隆寺を創建したことが、小菅神社の起源とされています。

小菅権現(摩多羅神)を祀り、熊野、金峯(吉野)白山、立山、走湯、戸隠の七柱の神々 を観請して、八所の宮殿を祀ったという小菅山。平安時代後期には熊野修験も入り、小菅山 の確立に寄与しました。

室町時代には、当時大きな力を持っていた醍醐寺との関係を深め、小菅山は隆盛を極めま した。一時は、僧侶、修験者、楽人など300人を有したとも言われます。

戦国時代に入ると、信濃全域が上杉氏と武田氏の争いの舞台となります。小菅山一帯は、 上杉氏の庇護下に置かれ、上杉謙信は武田信玄との合戦の際、必勝祈願の願文を捧げていま す。

しかし繁栄を極めた小菅山も、永禄10年(1567年)の川中島の戦いでの武田氏の侵 攻により、元隆寺本堂を除く堂塔はことごとく焼失したとされています。

江戸時代になると、杉並木や宗教建築の多くが整備され、霊場としての小菅の統治は、寺 院の手から里人の手に徐々に移りました。

明治時代には、神仏分離政策により、大聖院別当職が神職に就き、小菅社八所大神となり、明治33年 (1900年)に小菅神社と改称し、今に至ります。

「信州高井郡小菅山元隆寺之図永禄九年」版画

国重要無形民族文化財

小菅柱松行事(柱松柴灯神事)

平成23年に国重要無形民俗文化財に指定された、柱松行事(柱松柴燈神事)は、別名「松 子」とも呼ばれ、三年に一度、7月中旬におこなわれます。 講堂前祭式場で行われる神事には、高さ4m の柱松が2基立てられます。 それぞれの柱松には『天下泰平』、『五穀豊穰』の願がかけられ、その年の松神子に選ばれ た男の子二人が、どちらが先に火をつけられるかを競います。 修験道の開祖、役行者が開山したと言われる修験の山、小菅の名残を今に伝える、修験者 の験くらべの様子を表したとされる、とても貴重な神事です。 神事には、くねり山伏、山姥、松神子、松子若衆など様々な人物が登場し、護摩堂からの 行列、小菅神社里宮本殿からの神輿など、多くの見どころがあります。 天下の奇祭とも呼ばれるこの神事は毎年実施される、奥社宵宮祈祷、里社献燈祭などの例 祭とともに、小菅集落の人々により大切に受け継がれてきました。

国重要文化的景観

小菅は、このように現在でも建物や石垣の遺構、文化財や歴史に根ざした人々の生活など に、当時の隆盛や名残りを見ることができ、その景観や人々の暮らしは平成27年に『小菅 の里及び小菅山の文化的景観』として国重要文化的景観に指定されました。

小菅集落散策ポイント

A 小菅の里 参道エリア

多くの歴史資産と、日本の里山の佇まいやくらしを今に引き継ぐ小菅集落。参道の入り口と なる二の鳥居から、小菅神社奥社本殿へと続く杉並木の入り口にある三の鳥居までの参道の 左右に点在する数々の文化財やランドマークをご紹介。

二の鳥居

参道の入り口を示す「二の鳥居」。手前には小菅神社の社号標や石灯籠、狛犬が並んでいま す。この鳥居をどこかスピリチュアルな空気が拡がります。

仁王門(県宝)

二の鳥居から、参道を1km ほど上がると、現れる入母屋造の社殿「仁王門」。 17世紀後半に元隆寺の西大門として建てられた建物で、両脇に金剛力士像が祀られていま す。 明治時代に発令された神仏分離令により、多くの堂宇が破却されるなか、往時と同じ位置に ある遺構として貴重な文化財です。

小菅神社里社本殿

鳥居をくぐり、石段を上った先の「神楽殿(拝殿)」、右手に柱松柴燈神事で担ぎ出される神 輿を納める「神輿殿」、左手の「神馬殿」で構成されています。 現在の社殿は、1660年に飯山城主の松平氏によって改築されたもので、大正12年に大 きな改修が施され現在に至ります。

講堂(県宝)

里社本殿の隣に建つ講堂は、かつては元隆寺の中之院に属し、辺りには、南大門、中門、金 堂などが建っていましたが、武田氏の侵攻により焼失しました。1741年、空心法印の発 願により再建されたと伝えられます。中には阿弥陀三尊像が安置され、講堂前の祭式場では、 三年に一度、柱松柴燈神事が奉納されます。

菩提院と観音堂

観音堂は、信濃33番観音霊場めぐりの第19番札所で、多くの来訪者が訪れます。かつて は小菅山の中腹にありましたが、現在の場所に移され、菩提院の管理となっています。 菩提院は、元は大聖院の山内寺院の一つ、桜本坊でした。享保年間に中興開基されたという 真言豊山派の寺院であり、大日如来を本尊とします。明治時代の廃仏毀釈の際、大聖院は小 菅神社となり、桜本坊が仏教寺院菩提院として残されました。絹本著色両界曼荼羅図(県宝) はじめとする寺宝を収蔵しています。

護摩堂(県宝)、大聖院跡

最盛期には、上の院16坊、中の院10坊、下の院11坊、合計37坊を有し、100の末 院、6社、5堂が立ち並び修験、山伏、僧侶が300人いたとも言われる元隆寺。その総括 をしていたのが、大聖院です。建物は昭和に入り全て取り壊され、跡地に記念碑が建てられ ています。今でも残る梅鉢積みが見事な石垣は、「大聖院石垣」と呼ばれ、江戸末期にお台 場を築いた地域の職人が作ったものだといいます。 現在は、その跡地に護摩堂が建てられ、柱松行事の出発点のほか、火口焼きの神事などが行 われています。

修験の里 文化財収蔵庫

冬季以外の日曜に開館しています。文化財と集落資料を収蔵、写真パネル等を展示していま す。小菅の里に伝わる文化財等の概要は、こちらをご覧いただければ分かるようになってい ます。

B 小菅山エリア

三の鳥居から、静寂の杉並木を抜け、山道を登り岩壁を背に建つ小菅神社奥社へと向かう参 道は、まさに祈りの山の趣き。また山頂付近には、天然の美しいブナ林が広がり、秋には紅 葉も楽しめます。ゆっくり上って1時間半ほど、小菅山エリアの見どころをご紹介します。

三の鳥居、しだれ桜(県天然記念物)

小菅神社奥社への参道の入り口となる鳥居。左手には美しいしだれ桜(天然記念物)の大木 が。周辺には、善光寺地震で亡くなった金井和助翁の碑、石燈籠芭蕉句碑、梵字の石碑など の石造物が並びます。振り返ると登ってきた参道の先に、美しい妙高山の姿を拝むことがで きます。

杉並木(県天然記念物)

180本もの杉の大木の並木が、約800m に渡って続きます。江戸時代の造営で、樹齢3 00年と言われています。奥社までの参道を含めて、地区の住民の「おてんま」共同作業に よって整備されています。

磐座・登拝所

奥社に至る参道には、修験道信仰の名残となる磐座など、さまざまな登拝スポットが残りま す。

  • 岩の側面にあぶみ型のくぼみがある「鎧石」
  • 川中島合戦の際、上杉謙信が隠れたとされる「隠れ石」
  • 役行者や弘法大師が参拝の折に座ったという「御座石」
  • 恋愛成就を叶えるという愛染明王が祀られる「愛染岩」
  • ガマガエルに似た形をした「蝦蟇石」
  • 大海の波頭に船が浮かんでいるようだといわれる「船石」
  • 表面が鏡のように平らな「鏡石」
  • 弘法大師が登拝の際、筆を投げて岸壁に梵字を書いたとされる「不動岩」。筆を投げた場所には注連縄が張られ、その先の沢の奥に不動岩が見える。
  • 手を打つと太鼓の音が聞こえるとされる「鼓岩」など。各所でお祈りをあげながら奥社ま でゆっくりと登ってみてはいかがでしょうか。

小菅神社奥社本殿(国重要文化財)

標高900m 付近の岸壁を背に建つ小菅神社奥社本殿。 白鳳8(680)年、修験道の祖、役小角の創建と伝えられ、小菅神社の祭神8柱が祀られ ます。 建物は、北面に岩窟を背負っての懸造り、南側を正面にして妻入りの入母屋。 本殿の中には甘露池があり、この池が信仰の対象の始まりと言われています。上杉謙信が、 川中島出兵の折、必勝祈願の願文を捧げており、新潟県にも崇拝者が多くいらっしゃいます。 御本尊は馬頭観音。本殿と附属宮殿は室町中期のもので、昭和39(1964)年に国の重 要文化財に指定されました。

C 北竜湖エリア

三方を小菅の山々に囲まれた静謐で神秘的なそのハート形の形や小菅山のご利益から、恋愛 成就のパワースポットとしても知られています。 長野県の自然百選の一つで、カヌー・サップなどの水上アクティビティ、森林セラピーロー ドにも認定された「神の森」と称される周囲の森林の散策、トレイルランやオフロードバイ クなど、豊かな自然を楽しむアクティブティが満載のエリアです。 湖畔には日帰り入浴もできる宿泊施設「文化北竜館」や江戸後期の旧家を利用した「北竜湖 資料館」、のんびりと食事を楽しむことのできる「北竜湖の館」があり、静かに自然を楽し みたい方にオススメです。

北竜湖

古くは早乙女たちが手を洗う場所といわれ、早乙女池と呼ばれていました。江戸時代には湖 の規模は、現在の姿に拡大。オスメスの龍が南龍池(現在は、湿原となり池は存在しない) と北竜湖に棲む、という伝説があり、昭和36年に北竜湖と改称されました。北竜湖は、小 菅の農業用感慨用水として重要な役割を果たす湖でもあります。

D 小菅の里 周辺エリア

小菅の里 参道から少し離れ、神戸(ごうど)方面へと抜けるエリアについてご紹介。

南龍池跡

かつては、龍が棲む伝説のあった大きな池でしたが、現在は葦原の湿原となっています。昭 和40年代までは湿田として利用されていました。

桂清水

小菅七清水の一つ。神戸から風切峠を越えて小菅に来た参拝者などが、この清水で渇きを癒 し、小休止したと言われる。

風切峠

神戸から小菅集落へ抜ける峠の名称。馬頭観音をはじめ、村の守り神として、多くの石造物 のなかに大風を切り、穏やかな村にしようとした高さ74cm の風の神の石祠がある。

神戸のイチョウ(県天然記念物)

樹高31m 余り、県下有数の巨木で、樹齢は千数百年といわれています。イチョウの巨木は 全国的にも珍しく、とても貴重なものです。樹下には三宝荒神が祀られる御神木です。

<お食事処・宿泊施設・観光ガイド等のお問い合わせ>

小菅の里 七星庵(宿泊施設)

小菅神社里社近くにある一棟貸し切りの築 200 年の古民家宿泊施設。

小菅の里をゆったりと 気兼ねなく楽しめる。

飯山市瑞穂 6048
TEL: 0269-67-0475
HP : kosuge-nanahoshi.jp/

茶所 浅葉野庵(お食事処)

奥社参道手前にある和の風情溢れるお茶どころ。お蕎麦、甘み、コヒーなどをゆっくりと美 味しくいただける。(冬期は営業していません。)

飯山市瑞穂 7092
TEL: 0269-65-3988

Café&Space めぐる(カフェ、交流施設)

仁王門の西側100メートルにある3階建ての建物「オープンラボじねんぼう」の1階にあ るカフェ。ドリンク・フードには、地域の食材を使った、心とからだにやさしいメニューを 用意しています。

飯山市瑞穂 6117-2
TEL: 0269-67-0520
HP: https://mirai-ss.org/cafe-space/

信越自然郷飯山駅観光案内所

飯山市・信越9市町村の観光案内所、ツアー予約・ガイド手配を行います。

飯山市飯山 772-6
TEL: 0269-62-7000

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